ちょっと間が空きましたが第二集の最後を少しと第三集最終巻の感想を。
さて第二集の最後の山場は秀吉が死んじゃうとこですかね。
秀吉に気に入られながらも隙あらば謀反を企てちゃうまーくん。もう懲りないな!でも結局最後まで秀吉には敵わなかった感じで、秀吉死後の権力は徳川家康に傾いていきます。
さて第三集は主に四十代から死去までです。
天下は徳川に定まりつつあることで、まーくんは長女の五郎八を家康の六男・ 忠輝に嫁がせます。しかしこの 忠輝くん、まーくん以上に血の気が多く次第に自分で自分の首を絞めていきます。道義立国を目指していた家康は例え血の繋がった息子さえ、天下に示しがつかないとなれば親子の情に泣きながらも切り捨てる覚悟を示します。
大阪夏の陣ではこじゅの息子の重綱(後の重長)が大活躍!ちなみにこの当時新人の高○政宏がやってるんですけど、ガタイがいいんだなーコレが!まあ“鬼の小十郎”と言わしめたくらいだから、このくらい勇猛果敢な感じでいいのかもしれないけどね。
でもこの政宏こじゅが金吾中納言(小早川秀秋)に言い寄られるってのがなんともねぇ・・・思わず「そうか!金吾は政宏こじゅに抱いて欲しかったのか?!」と逆転の発想をしてみまいた。←せんでいい。
さて夏の陣が終わり、帰国をやっとこさ許されたまーくんは病気で伏せっているこじゅのお見舞いに白石に立ち寄ります。(原作では夏の陣の出兵の途中で寄って、ちびこじゅを参陣させるんだけどね)
もうこれが最後と悟ったこじゅは守役に立ち返り、敢えて換言を呈し遺言とします。
山形にいるまーくんの母・保春院を仙台の手元に引き取れとか。
徳川の天下は決まったのだから、もう謀反を起こそうとは思うなとか。
とにかくこれからは太平の世になるのだから、良い君主になるよう勤めろとか。
婿であってもこれ以上 忠輝の庇い立てはよせとか・・・。
でも一番最初にね、「とにかくお体を大事にして、長生きするように」とか言っちゃうあたりはやっぱりまーくんのこと子ども扱い(笑)でも愛してるんだなーと思ったv
このとき成実もついてるんだけど、印象的だったのはもう戦はこれが最後に起こらないというこじゅの言葉に
「そうか・・・もう戦は起こらんか・・・」
と感慨深げに、そして自分の時代ももう終わったのだと悟ったような成実の呟きにちょっとほろりときまいたーっ!だってしげ戦大好きだもん!(こういうと語弊があるか・・・)いえ、しげはやっぱり戦に生きた人だから。
この点、少しでも早く生まれていたしげはすごく救いがあった。 忠輝ももう20年早く生まれていたら活躍しただろうにね・・・父である家康にもそう言われるところが不憫ですじゃ・・・
そしてこれが仲良し三人衆最後の場面となりました。
こじゅはわずか59歳でこの世を去ります。この時代では平均的な年齢だったのかもしれませんが、やはりもう少し生きて仙台藩の行く末を見ながらまーくんのそばに居て欲しかったなぁ・・・
さて、やはりこじゅの言うとおり血気盛んな 忠輝は改易、切腹となります。
それを追うように家康も病に伏し、まーくんは副将軍となって後を託されます。すでに晩年に入っていたまーくんは母を引き取り、能や詩歌を愛で、酒を愛しながらの日々を送ります。
最後に死期を悟ったまーくんは江戸に上り、愛姫にもこれまでの礼を告げ、亡くなります。
その亡くなるシーンがまた泣ける!
梵天丸→藤次郎→政宗と三人が揃い、母・義姫が迎えに来ます。そこで初めてお互いに許し合い、手に手を取って旅立っていく・・・極楽に行ってやっと輝宗・義姫・政宗の親子水入らず(弟の小次郎くんもいるかな)で仲良く暮らすんだろうなって感じです。
朝起こしに来たしげと綱元が死んでいるまーくんを発見するのですが、やっぱりしげの言葉が印象深い。
「殿はお帰りになられたのだ・・・人生は客のようなものとよう申されていたではないか」
この後しげは9年ほど長く生き、綱元は14年長らえます。
しげの辞世の句がまーくん亡き後のその年月をよく表していると言われています。(拙宅Memoの辞世の句をご覧下され)
そんなこんなで総集編終了~v
最後にひと言。
やっぱり総集編じゃ物足りねぇ!!!
だって端折られすぎて、こじゅを殴ったまーくんの薬をこっそり喜多に託すシーンとかねーんだもん!くそ!楽しみにしてたのにぃ~!
かといって全巻買うのは無理だし・・・ああ時○劇チャンネルさま、もう一度最初からやってくだされ!>懇願!
レスv
>流○どのーっ!
もうなにソレ!?永岡DATEの主従ってば愛し合ってるじゃん!そこら辺のBL小説なんて目じゃないね!絶対読む!
聚楽第は一応簡単に言うと、京都に秀吉が作った豪華なお屋敷です。堀や天守閣なんかもあったらしいので平城としても使えたらしいよ!でも養子の秀次が関白になったときにその聚楽第も譲って自分は伏見城に移ったのね。で、秀次を切腹させると聚楽第もぶっ壊しちゃったんだって!さすが剛毅な秀吉だ。なので、今は京都に行ってもないんだけど、西本願寺の飛雲閣(普段一般公開されてません)や大徳寺の唐門その他が聚楽第から移築されたものという伝承があるそうです。遺構からも金箔塗りの瓦やなんか色々出土してるそうでっせ!
拍手もありがとうございますvそろそろ何か書きたいな・・・