こちらに一纏めにするのもいかがなものかと思いますが、本宅に書き続けるよりはいいかな、と。
先日行った高麗のことが気になって、今日は本屋さんで本を漁ってみました。
学術書に近いものばかりでお高いのと、まあソコまでの興味でもないから買わなかったけど、なかなか興味深いことが書かれてましたね。
渡来人、と人括りにしがちですが、奈良時代には高句麗のほかに百済や新羅からも渡って来た人々がいたということ。
そして高句麗の人々を高麗の地に集めたのは朝廷に入り要職についた百済の人々から遠ざける意味があったという事実に驚きました。
高麗だけでなく他にも新羅の人々を集めた場所やもちろん百済の人々を集めた場所など各地にあったようですね。
そして本宅に書いた私の予想もあながち外れてる訳でなく、やはり元からその土地に居た人々との軋轢を避ける意味と、新たな地を与えることで渡来した人々の生活の安定も図っていたらしいということが判りました。
やはり教科書に書いてあることだけですべては語りつくせないし、今私たちが目にしている記録や歴史はその時代の勝者によって書かれたもの(作られたもの)なのだなぁ、としみじみ実感した次第。
これでとりあえず私の中の高麗への興味も満足ですv
拍手レスv
>○ひめさんv
ここを見つけなさいましたね?!いらっしゃいませv
決算期ですか!ええもう、全部片付けてからごゆるりとどうぞv・・・大したものもございませんけどもね(笑
お言葉ありがとうございましたv