とりあえずここにアップします。あとで書庫に収納予定。
元信視点で政小と思っていたのに、なんかそこまで行き着かず。無念。
リハビリということでご勘弁ください。
お手数ですが↓からお願いします。
鈴木元信が伊達家に来てまず一番に驚いたのは、政宗と家臣の距離の近さだった。
家中では何かにつけて飯や酒を飲み交わす機会が多かった。
茶の湯と同じように一種の社交のようで、そのほとんどが同輩同士、忌憚なく意見を言い合うようなざっくばらんな場である。だが、時にざっくばらんが災いして議論白熱しすぎた者たちが怒鳴り合い、果ては掴み合うような場面もあり、新参者の元信が仲裁に入るのも一度や二度のことではなかった。
ところが家臣だけでなく、こうした場を主君である政宗もよく好んだ。
元信をはじめ伊達成実や片倉小十郎、鬼庭綱元といった気心の知れた者たちを誘い、膝を突き合わせて領内に次々と持ち上がる問題についてあれやこれやと議論しながら、飯を掻き込んだ。そこに酒が加わり、杯を重ねていると、ここでもお定まりの怒鳴り合いと掴み合いが始まる。しかも家臣同士だけでは収まらず、政宗相手に誰か───十中八九成実が口から飯粒をまき散らしながら食ってかかるということがしばしばあった。そんな時、間髪入れず割って入る小十郎と綱元が暴れ馬のように鼻息荒いふたりを収め、元信はやれやれと乱れた膳を直すのが常であった。
元信は京ではそれなりに名の知れた茶人であった。
伊達家に召し抱えられたのも政宗への茶の湯の手解きが元であったが、意外にも勘定や知行にも才を発揮し、側近として重く取り立てられたという経緯があった。
そんな元信は、当然のことながら古参の家臣たちによく思われなかった。
茶人風情がいい気になって。太刀も扱えぬのに武将の真似事をとは片腹痛い───。
そんな聞えよがしの言葉にも元信はしかし、顔色ひとつ変えなかった。
(成り上がり者はどこでも疎まれるものだ。かの太閤とてそうだった)
京人特有の処世術を発揮して飄々と立ち回り、家中でも確固たる立ち位置を築いていった。
話を戻す。
そんな元信が京にいた頃でも、交流のあった武将たちに伊達家のようなあけすけな主従関係を見た覚えはなかった。
京という場所柄か、はたまた家風からか。
仮にそれらを差し引いても主に向かって飯粒を飛ばすようなことが許されるとは思えなかったが。
ともかくも都上がりの元信の目に、伊達家中の親密さは随分と奇異に映った。
(───それとも田舎の武将とは、斯様なものなのだろうか)
鄙びた奥羽の地で元信は首をひねった。
だが、京から遠く離れたにも関わらず、彼の地は高い文化を香らせていた。
伊達家では毎年正月には連歌の会が開かれ、舞や楽も盛んであった。
とくに政宗の歌と書は見事なもので、京でも通用する手練であった。また太鼓も嗜んだ彼と笛の名手である小十郎との合奏は見事なもので、たびたび披露された宴の席では元信もうっとりと聞き惚れるほどだった。
そうこうするうちに元信も伊達の水に馴染み、彼らの泥臭さは次第に好ましいものに変わっていった。
冬は雪深く、寒さ厳しい土地で人々は互いに支え合って行かねばならない。
そのためには時にぶつかり合うことも必要で、それもこれも国のことを思ってのことだ。
その中で〝ともに食する〟という行為は、特別だ。
同じ飯を食えば今日び珍しくない毒殺も防げるし、戦場で寝食をともにすれば団結を生む。それは平時でも変わらないのであろう。
それに腹が膨れて怒るのは難しい。悲しみも腹が膨れれば不思議と落ち着く。
「───理にかなっているということか。なるほど」
「元信、なにか言ったか?」
元信は成実の声に我に返った。つらつら惟みていたことが、知らず口からこぼれていたらしい。
「いえ、なんでもございません」
元信がにこりと笑うと、成実もそれ以上聞くこともなく。「まあ、飲め」と銚子を突き出し、元信の差し出した杯に酒を注いだ。
今宵も今宵とて政宗に内輪の宴の最中であった。
みな相変わらずよく食べ、よく話した。腹もくち、政務から抜けきれぬ話も切り上げると、政宗は小十郎に笛を所望した。
夏の短い奥州ではすでに秋風が立ち、野趣あふれる庭では虫たちの控えめな合唱が聞こえる。澄んだ夜空を見上げれば、十五夜に近い月がぽっかりと浮かんでいた。
その中に流れる美しい音色と調べを聞くうちに、ついつい思索に耽ってしまった。
(じきにまた長い冬がくるな・・・)
今年の米の出来はどうだろうか。
寒さはきびしいだろうか。炭や薪の備えも確かめなければ・・・。
またそんなことを考え始めたところに、ひやりとした、だが心地良い風が元信の頬を撫でた
(・・・まあ、今宵くらいはこの月を楽しもうか)
元信は月を見上げながら杯を干した。